戦後間もない1946年、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の意向を受けた文部省は、教員への手引書として「新教育指針」を発表する。

そこでは、「教員組合の健全な発達もまた教師の民主的な生活及び修養のために大切なことである」と述べ、教師の生活の安定、教養の向上、政治介入への対抗策等として、教員組合を奨励している。文部科学省と日教組は激しく対立してきたが、そもそもはGHQや文部省の後押しがあって発足したことが伺える。

教員組合への加入者数は、戦後の約2年で50万人強へと爆発的に増えた。そして戦後生まれた3つの教職員組合が合併し、1947年「日本教職員組合」が誕生した。

GHQは日本の民主化という名目のもとに様々な政策を実施する。明治憲法の抹消、修身や教育勅語の廃止、東京裁判による日本罪悪史観の注入等がそれである。日の丸・君が代の禁止もその中に含まれていた。これらは、戦前の軍国主義を一掃するためというより、愛国心やモラルを剥奪することによって日本人を骨抜きにし、日本を弱体化させるためであった。




アメリカは、日本の参戦によって欧米列強がアジアに築いた植民地や権益を奪い取られたことを恨み、また蔑視の対象であった東洋の小国が大国アメリカを敵に回して果敢に戦ったことを恐れ、日本が二度と脅威とならないよう徹底的な「精神的武装解除」をおこなったのである。

更に、GHQは民主主義を啓蒙するために、社会主義者の活動を許し、教員の政治団体や組合結成を奨励した。後にGHQはこれを後悔してアカ狩りに転じるのだが、まだ庇護の対象であった社会主義者はGHQの後ろ盾を得て、猛烈な勢いで情宣活動を開始する。

昭和27年に設けられた「教師の倫理綱領」には「教師は科学的真理に基づいて行動する」という項目があったが、この科学的真理とはマルクス主義を表していた。日教組は創設当時から天皇制、日本政府打倒を掲げて、階級闘争的イデオロギーによる教育活動を目指していた。